文化財

適切な表題が見つからなかっために文化財としたのですが、要は村民が大切にしている村の施設や物品のことです。小さな村ですが、これらは村の財産ですのでこれからも大切に守り続けていきます。


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山 王 神 社

元々は鈴木家の地の神様であったが、明治14年に鈴木源造氏から塩新田に寄贈され、以後自治会の管理の下、村の氏神様として村民の信仰を集めている。 祭神として大山昨神(おおやまくいのかみ)が祀られ、本社は日吉大社と言われているが、いつどのように勧請されたかは不明である。 村の中央部の小高い丘の上にあり、本殿は流造である。参道の鳥居は昭和29年に建設された。 毎年10月に村を挙げての祭典が行われる。なお、神社庁には加盟していない。

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公 民 館

村の行事や会合、そして憩いの場所となっているのが山王神社に隣接する公民館である。 現在の公民館は二代目で平成6年に建てられた。初代の公民館は昭和31年に建設されている。それ以前には同じ場所に明治に建てられた茅葺きの大日堂があり、公民館と同様の機能を果たしていた。 公民館には台所やトイレ等が完備し、災害時の対策本部としての機能も備えている。そのほか、後述する次郎長像や大日如来像もこの公民館に保管されている。

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秋 葉 灯 籠

大正12年(1923)の関東大震災に際し、村の防災と安全の守護として建立されたのがこの秋葉灯籠である。かつては秋葉山の御札が収められ、 照明もあったと聞くが、現在は灯籠のみである。しかしながら、毎年正月明けには、村の代表が可睡斉にご祈祷に赴き、秋葉神社の新しい御札を受領して秋葉灯籠にお参りした後、各家々に配り、防災と安全を祈願している。 昭和、平成と村に大きな災害がないのはこの灯籠の御利益であると信じられている。老朽化し倒壊のおそれが生じたので、平成17年に改修工事が実施された。

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次 郎 長 像

塩新田の公民館に磐田市の文化財に指定されている清水次郎長の漆喰像が飾られている。入江長八晩年の作といわれている塩新田、いや日本のお宝である。 前述の鈴木源造氏は、清水でマッチの製造を行っており、その関係で次郎長と懇意になり、多くの子分を抱えた次郎長のために塩新田から度々米を送り、そのお礼にと源造氏に贈られたと言われている。 その後、子孫の方が大日堂に掲げ、一時期、十輪寺に渡っていたが、現在は塩新田公民館に掲げられている。

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屋  台

昭和50年頃までは、村のお祭りはオヒマチと言って神事に祝宴及び餅巻き程度であった。当時でも近隣の町々には屋台があり、祭りは賑やかなで活気に溢れていた。 このため、塩新田にも屋台を作ろうという声が大きくなり、準備委員会が設けられ屋台の取得が計画された。 しかしながら、50戸の集落では潤沢な資金は確保できなく、当初は近隣の自治会から中古の屋台を購入するのが精一杯であった。そして、この初代の屋台でお囃子や引き回し要領等を修得するとともに、さらに資金の調達を継続し、昭和63年に現在使用している二代目の屋台を新築したのであった。
屋台のお陰で祭りの様相は一変し、今では老若男女総てが参加し活気に溢れた祭りを見ることができる。

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大日如来像

塩新田にはかつて大日堂と呼ばれた建物があり、中には大日如来像及び道元像等が安置され、村民の信仰対象になっていた。一時期には僧侶が居住していたこともあったという。 その後、大日堂は、初代の公民館、そして現在の公民館へと変貌したが、これらの仏像は大切に保管されている。その殆どは江戸中期に作られたものらしいが定かでない。 いずれにせよ時代を超えて村民の願いを聞き届けてくれた仏様達であり、大切にしなくてはならない。現在でも毎年9月及び12月にこれらを対象にした念仏会が行われている。

御稲荷さん

御稲荷さん

村の西部に小さな祠があり御稲荷さんが祀られている。言い伝えによると、享和年間に塩新田の西側の河原近くに大きな白狐が住んでおり、朝に夕に姿を見せて村人と遊んでいたという。 しかしながら、ある時村が大洪水に襲われ、水が引いた跡にその大狐の死体を発見したので、哀れに思った村人は近くに小さな祠と鳥居を建て、御稲荷さんと呼んでその霊を弔ったらしい。 その後、年月が過ぎていつしか祠や鳥居もなくなり御稲荷さんは忘れ去られていった。 しかしながら、昭和の時代になりその場所が土地改良による道路建設等により荒らされると、なぜか農作業中の事故等が頻発するようになった。 不思議に思った当時の自治会役員がこの狐の話を聞き、大狐の霊を弔うとともに村の安全と繁栄を祈願し、再び小さな祠を建てて御稲荷さんを祀ったのである。

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慰 霊 碑

塩新田の墓地は塩新田の住宅地区にある。その中で数個の立派なお墓とともに大きな慰霊碑が人目を引く。これらは戦没者のお墓である。塩新田には明治以降10名の戦没者が存在している。 立派なお墓は太平洋戦争以前の戦死者が個々に祀られているものである。大きな慰霊碑は太平洋戦争による戦没者の合同慰霊碑である。この合同慰霊碑は、昭和20年代に村人総出の作業協力により建設された。 これらのお墓や慰霊碑には遺族により常に花が手向けられ、また月1回持ち回りで墓地の清掃が行われるほか、お盆前には村人総出で墓地の環境整備が実施される。 本来ならば、この戦没者については歴史の項で述べるべき事柄であるかもしれない。

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